
見過ごしがちな日常の出来事も、よくよく見ると面白い!
トランストラクチャのコンサルタントが感じたこと興味を持ったことを記していきます。
古代のハイウェイ
北関東にある私の家のすぐ近くに古代の幹線道路である東山道の跡が残っている。東山道は江戸時代より前の幹線道路で、京都から群馬県までは江戸時代の中仙道とほぼ同一のルートだが、群馬県から東京に向かわずそのまま栃木を通過して東北方面に延びていた。要するに当時の日本の中心地京都と東北地方を結ぶ幹線道路である。群馬県や栃木県では東山道の遺跡が多くの場所で見つかっている。
驚かされるのは道路の構造が我々の想像するような「けもの道」ではなく、現在の道路にも負けないレベルの道路だったことである。まずその道幅は広く、実に現代の4車線道路に相当する道幅を持っていたそうだ。また道路の構造は排水性が高い上に固い路面となっており、地方で何か事が発生した時には短時間で大量の軍隊を送ることが可能になっていた。さらに驚くのはその直線性で、各国(今の各県にほぼ相当)に置かれた国府間を可能な限り最短距離で結ぶ事を前提に真っ直ぐに道が延びている。実際のところ我が家の近くの東山道跡も直線状に真西に向かって道が延びており、道の真正面には浅間山が見えるのである。昔この道を私が通学に使っていた頃には道の正面に浅間山が見えるのは偶然だと思っていたが、そうではなく山を目印にして直線状に道が延びていたらしいと聞いて納得した。
こうした古代の道路をどのような人々がどのような計画に基づいてどのような体制を組んで建設したのかは全く資料が残っておらず不明である。はっきりしているのは全て人力に頼るしかなかった時代に高い計画性を持って組織的な工事がなされていたことが遺跡調査から明らかになっていることである。現在のような組織やプロジェクト体制に関する体系的な理論や仕組みが確立していない時代にどのようにして、このような素晴らしい仕事を完成したのか興味は尽きない。
『即戦力採用』
久々に会ったカメラマンの友人と、仕事の話をしていた。
華やかな世界だからということもあるが、「仕事」の話とは言っても、彼ら自身がサラリーマンではないので、聞いていて新鮮に感じることも多い。
先日も採用の話をしていた時に、「この業界には『即戦力採用』ってこと自体がないんだよ。」と言われて、はっとした。
彼らは大抵、最初はスタジオに勤め、名のある先生のアシスタントとして経験を積む。技術は当然のこととして、才能があって運が良ければ、どこかのタイミングで独立することになる。つまり、「新しく入ってくる人間は、『入ってくる』時点で『即戦力』ではないから、『即戦力採用』などない」というのだ。確かにそうだと思うと共に、改めて厳しい世界だと思った。
最近では、それなりの年齢のサラリーマンが、「やっぱりカメラやりたいんで」と言って転職してくるケースがあると言い、そんなところで不況を感じるのだそうだ。
どうせ厳しいのならば、いっそ好きなことを、ということか。
おかしいのは、いきなりとても高級なデジカメを買ってしまったりすることだ。
「ダメだよね。」と言うから、「ダメだね。」と答えた。
「でも、もしかしたらその人なりの覚悟なのかもしれないよ」と、ものすごく想像力を働かせて言ったら、「それだけの道具を使う意味が出てくる頃には、それよりもっと良い機材が出てくるんだよ。そういうのは覚悟って言わないよ。わかってるくせに。」と笑う。
彼らの世界は不況でなくとも才能がなければ仕事は来ない。
アシスタントは、どんなに出来てもアシスタントでしかない。
だから大抵みんなアルバイトで生計を立てている。
なのに、そのデジカメの値段は、アシスタントの年収相当だ。
はっきり言おう・・・それでは勝てまい。
どんな仕事も楽ではないが、彼らの世界は厳しさが違う。
一般の会社は、少なくとも「即戦力採用」「経験者採用」がある。
『即戦力』でなくても、『経験者』であれば入社できてしまうこともある。
才能を問われるのは、きっとある一定のラインを超えてからで、大抵のことは努力でなんとかなる。
ありがたい話だ。
隣人は外国人
子供の頃、私が住んでいた北関東では外国人は数少ない珍しい存在であった。修学旅行の旅先で我が中学の英語教師が外国人と話をしようものなら、先生は生徒から尊敬の眼差しで見られたものである。
その頃とは様変わりで今や北関東は日本でも外国人比率が最も高い地域と言われ、自治体によっては人口の17%に達しているところもある。特に南米系の外国人が多いが必ずしも日系人ばかりではない。外国人が多い某自治体では通りに面した店の看板にポルトガル語がならび、さながら南米に行った感がある。
以前は特定のエリアに同じ国の者同士でコミュニティを作り、彼らだけの社会を作る傾向が強かったが、彼らの日本での生活が長くなるにつれて日本人との同化が進みつつある。我が町内でも、日本人と結婚した二人の外国人がいて毎日会話をするような状況である。駅やショッピングセンターでも外国人グループあるいは外国人と日本人カップルを見かける機会が非常に多い。以前は外国人が引き起こす犯罪が問題視され、日本人と外国人の間に意識的に高い壁が存在していた。実際に犯罪率が高かったのかは不明だが、いろいろな意味で目立つ存在であることに加え、コミュニケーション上の問題や生活習慣の違いを互いが理解し合えなかった事が原因であったのだろう。しかしこのように徐々に外国人が身近な存在になるにつれ両者間の壁の高さも低くなりつつある。行政側でも両者の共存共栄を目指したお祭りや交流会等のいろいろな施策を展開しつつあり、両者の融合が一層進む結果となっている。米国やブラジルが人種のるつぼと呼ばれるようになってから久しいが、日本でも国際化の進展に伴い、このように混血化が進むのは自然なことなのであろう。
だが昨今の景気低迷で外国人が次々に職を失い、苦境に陥っているらしい。不況でまず首を切られるのは外国人なのだ。母国に帰れるあてもなく、次の仕事を見つけられず、生活保護を受けようにも車を所有している(公共交通が極めて不便な北関東では車がないと生活が成立しないのである)ので生活保護が受けられない外国人が急増しているとのことである。少子高齢化で人口の急激な減少が懸念されている我が国では、国力を維持する上で移民が将来の重要な選択肢になりうると言われている。そのような視点から彼らの窮地を何とか救うことができないかと思う。
世界でも数少ない親日国である南米の国々から来た人々が嫌日となって帰国する、あるいは母国に報告することになっては多いなる損失と言えよう。彼らを受け入れることに本能的な反感、不安感を抱く人もいるかも知れない。しかし多様性こそがこれからの国の繁栄に繋がるのである。
マイケルジャクソンは、経営者にもなれた!?
先週末、先日亡くなったキング・オブ・ポップ、マイケルジャクソンの
映画、"THIS IS IT" を観て来ました。往年は、奇行ぶりばかり目立つ彼
でしたが、最盛期の世界中を魅了した楽曲の数々に触れて、改めて、彼の
非凡なるエンターテインメントに対する感性と情熱に敬服すると共に、
ただただ、楽しい時間を過ごすことができました。
一緒に鑑賞していた他の多くの観客の人々も同じだったようで、
映画でありながら、エンディングでは、自然と大きな拍手が映画館の中に
鳴り響いたのでした。(個人的に、映画を見て観客から拍手が沸き起こったのは、
その昔、スピッルバーグの映画、ETを見た時以来、2度目の経験でした。)
この映画は、単なるライブ映像ではなく、コンサートを成功させるために、
メンバーが一団となって取り組む姿を追ったドキュメンタリーと
いったほうが、正確な気がします。
見ているうちに、
これは、一般企業の組織の中で起こっている出来事とも重なって
見えてきました。
・優秀なダンサーを採用するためのポリシー
・メンバーをモチベートさせるコミュニケーション
・高いレベルの完成度を求めるトップの姿勢
・観客ニーズへのこだわり 等・・
わずか2時間の映画の中に、我々企業人として学ぶべきこと、共感すべきことが
たくさん詰まっていました。(あまり書くとネタバレになるので、止めておきます。)
おそらく、マイケルジャクソンは、ビジネス界であっても立派なリーダーに
なったのではないでしょうか。
年末調整
そろそろ、年末調整の時期である。どうやって乗り切ろうかと頭を悩ませている総務人事の方も多いことだろう。日本の会社では、源泉徴収で所得税を給与からあらかじめ引かれることは誰でも知っている。この制度は、戦争中に、軍費を確実に集めるために採用されたことが始まりらしい。戦後60年以上経って、こんなところに戦時体制の影が残っているのかと驚いてしまう。今でも、税金を取っぱぐれないためにはとても有効な制度だろう。他方、納税する側にとっても、面倒がなくてよい。しかし、ちゃんと意識していなければ、自分の給料から何が引かれ、何が控除されているか気がつかない。学校を出て暫くは、納税の意識は全くなかった。
1980年代の数年間、香港で働いていたことがある。当時の香港はイギリス領で、自分で申告しなければならなかった。赴任した当初、必ず、毎月の給与から税金分を残しておくようにと、何度も念を押された。余程、金遣いが荒いと思われたのかもしれない。おかげで一年後に金がないということはなかったが、今度は申告方法がわからない。アカウントマネージャーに、どの用紙に何を記入し、どこに行って提出すればよいか、手とり足とり教えてもらった。申告場所に行ってみると、宝くじ売り場のような窓口が2~30並んでいて、納税者は書類を手に列を作っていた。無事手続きはできたのだが、日本でも源泉徴収が無くなると、こういうふうになるのかと思ったものだ。
個人が納付すれば、手間は1人分だが、毎月の給与から会社が徴収すれば、その手間は会社の規模に比例して増大する。この制度は、徴収する側と納税する側にとっては便利なものだが、間に入る企業の負担は相当なものになる。そして、結局、その見返りが何なのかはよくわからない。
冬の使者
夏から新潟への出張が定期的に継続しており、季節は間もなく冬を迎えようとしている。初めは青々としていた越後平野の田の稲は秋には黄金色になり、先月上旬またたく間に稲刈りが行われた。稲刈り前にはシラサギやアオサギが水中の餌を探している姿が田のあちらこちらで見られ、車窓からその姿を見るのを楽しみにしていたが、稲刈りも終わり彼らの姿を見ることができなくなってしまい寂しい思いをしていた。
しかし3週間ほど前から稲刈りが終わった田に数十羽の白い鳥が群れている姿を見ることが多くなった。シラサギの群れかとも思ったが、新幹線の線路からはかなり離れている場所だったので確認できずにいたのだが、先週初めて線路に近い場所の群れを観察でき、改めて良く見るとなんと白鳥の群れであった。しかも場所は新潟の市街地に隣接した場所であり、都市の間近で白鳥が見られることに驚いた。
さてその同じ出張で客先への訪問後、新潟駅までの帰路に海岸沿いの湖がある公園近くで食事をすることになり、レストランから窓越しに湖を見ていると渡り鳥と思われる鳥が多数泳いでいるのが見えた。店の主人にどんな鳥が来るのか聞いたところ、朝晩には湖が白く見えるほど多数の白鳥が来るとのこと、昼間は田に餌を探しに出るのでほとんど姿は見えないとのことだった。ここでようやく新幹線から見えた白鳥の群れについて合点が行った。彼らは夜間は安全な水上で過ごし、昼間餌を求めて田に出るのであろう。
出張では駅と宿と客先の往復ばかりとなることが多いのだが、このような予期せぬ出来事に遭遇し、しかも東京ではまず目にするのが難しい冬の使者に会うことができ、とても満たされた気分になれた。移動が多いコンサルティングの仕事の中で、貴重な息抜きの瞬間であった。
統制
はっきりとしない天気が続くが、時季は観光シーズンの真只中、出張途上の空港で多くの修学旅行生の団体と出会う。
学校によって制服がさまざまであるように、生徒たちの態度もさまざま。行儀の良い生徒が多い学校もあれば、やんちゃな生徒ばかりが目立つ学校もある。
先週、羽田空港にいた修学旅行生の団体は、実によく統制がとれていた。一糸乱れず整列し、私語することもなく搭乗の順番を待っている。よく見ると、引率の先生は小さな女性の先生。「今日の旅程」を説明する声はとてもか細いものだったが、皆静かに耳を傾けていた。いざ搭乗の段となると、生徒たちは一斉に立ち上がり、お互いに、「静かにね」「さわいじゃだめだよ」と小さな声をかけあっている。気を緩めたら大声ではしゃいでしまいそうなのを、一生懸命自制し、周りに迷惑をかけないようにしているのだ。普段からの躾なのか、旅行に際しての厳命なのかわからぬが、怖い先生が目を光らせていなくても、自らを統制しているのだった。
他方、昨日出会った生徒の団体は、立派な体格の男の先生が声をはりあげているのに、一向にまとまらない、お世辞にも行儀が良いとはいえない団体。列は乱すし、勝手にトイレにいくし、走り回るし、旅行会社の担当者の説明はまったく聞いていない。あちらでふたり、こちらで三人、大声を出してじゃれあっている。搭乗を待つ早朝の10分間、静かに目をつぶっていたいと思うが、うるさくてそれどころではない。搭乗のとき、それでも、客室乗務員の挨拶に、ひとりひとりが大きな声で、「おはようございます!」と応じていた。なぜだかほっとした。
賢人の言葉に思うこと
「いまそれをしなかったらいつ出来る日があるか」-ユダヤのタルムードという聖典に出てくる言葉である。ふと手にした本に見つけたその言葉が妙に気になった。
タルムードは、紀元前500年から紀元後500年までのユダヤの口伝を、2000人の学者が10年かかって編纂したものだという。古くは教師から生徒に伝えられた内容で、文化や道徳、宗教、伝統が記されている。そこから何を見出すかは、学ぶ者によるのだろうが、現代もユダヤの人々の生活規範となっているそうだ。冒頭の言葉は、その中に出てくるヒレルという偉大なラビ(ユダヤ教の僧侶)の残した言葉として紹介されている 。
私たちは、仕事もプライベートも「優先順位をつけて」「メリハリをつけて」と言っては、常に何かを後回しにしている。実際にそうせざるを得ないし、いかにこれをうまくやるかが、昨今の流行のテーマでもある。しかし、いつだってそれは、予め区切られた時間の使い方の話でしかなく、「無理なく出来る範囲でどうするか」という話でしかない他との比較を離れて、そのこと自体の独立事象としての重要性を考えたり、「出来る範囲」の是非を問うことはあまり多くない。 かく言う私も、少し前までは、いつも何かを端折っている感じが気になっていたのに、いつの間にか、その気持ち悪さを感じなくなりつつある 。
「いまそれをしなかったらいつ出来る日があるか」-時々思い返してみる必要がありそうだ。
歴女
先日、お酒を飲みに行った時のことである。二十代前半の女性が接客に就いた。この位の年齢だと話題は限られるし、相手に合わせることもあまり上手ではないので、大抵の場合、話は進まない。二言三言さし障りのない話をしていたが、先方もこちらの話に関心はなさそうだった。しばらくたった後、地方に仕事で行った折、お城を見物した話をすると、急にこの女性の目が輝きだした。この女性は、戦国時代の城や武将にとても興味があるとのことだった。巷では、このように歴史好きの若い女性が増えており、歴女と呼ばれているらしい。
昔は、戦国武将と言えば、男性サラリーマンの独壇場で、歴史小説を読んでは、戦国時代という極限の中で下された決断力や洞察力を、現代社会におけるそれらに例え、熱弁をふるっていた。山岡荘八の徳川家康がブームになれば、多くの経営者はその忍耐力を我が経営に例えた。戦中戦後の苦難を乗り越え、会社を発展させた人たちの琴線に触れたことは容易に想像される。
津本陽の織田信長の新聞小説が評判になれば、そのリーダーシップを経営評論家が絶賛したものだった。この小説は、80年代後半のバブル景気の時代に連載されていたのだが、信長の持つ先進性と本能寺へと続く破壊性が、その後のバブル崩壊を暗示していたかのように思える。
ところで、この女性は、前田慶次郎というあまりリーダーシップを感じられない戦国武将が贔屓だと言う。そして、その武将のことはマンガで知り、ゲームを通じて好きになったそうだ。今回の戦国武将ブームは、今の時代をどう読み解いたらよいのだろう。私は、また会話に詰まってしまった。
エコロジーの時代
エコロジーの時代である。車はプリウスやインサイトに代表されるハイブリッド車に乗らなければエコではなく、旧式のRV車に乗っている私は肩身が狭い。売ってももはや二束三文の車だが、廃車にしてエコカーに買い替えると数十万円の補助金が出るそうである。まだまだ走れる車なのにである。ゴミも徹底的に分別回収され、私が住む街ではなんと12種類のゴミに分別しないと回収してもらえないとかで、使用済みのガラス瓶や缶を洗剤で洗うことまで強制されるらしい。太陽光発電のためのソーラーパネルを自宅の屋根に取り付けるのも流行りで、取り付けると100万円近い補助金が出るとのことである。
エコロジーを否定するつもりはない。しかしまだ走れる車を廃車にしてハイブリッド車を購入することが本当にエコなのか、使用済みの瓶を洗剤とお湯で洗うのが本当にエコなのか、太陽光発電が本当にエコなのか良く考えるべきであろう。つまりエコのために投入されるエネルギー量とそれによってセーブされるエネルギー量は当然後者の方が多くあるべきだが、本当にそうなっているかと言う問題である。
私の乗っている旧式のRV車は確かに燃費は良くないが、かと言ってハイブリッド車との燃費の差はハイブリッド車1台を新たに生産するのに要するエネルギー量を上回る程のものなのか。二酸化炭素排出量の違いが問題にされるが、ハイブリッド車を新たに生産する上で必要なエネルギーを生み出すための二酸化炭素排出量はどのくらいかが判らなければ比較はできないのに、これは全く議論に上らないのである。
環境保全は大切な課題であるのは間違いないが、目先の見える範囲でのエネルギー消費量や二酸化炭素排出量のみでエコを語ると本質を見誤ることになる。全体感を持ってエコを進めるべきであろう。
