
見過ごしがちな日常の出来事も、よくよく見ると面白い!
トランストラクチャのコンサルタントが感じたこと興味を持ったことを記していきます。
当たり前のこと
先日、少し嬉しいことがあった。
たまには一人でゆっくり昼食を楽しもうと思って入ったレストランでのこと。
周囲と充分な距離をおいた席に通され、期待を裏切らない味にほっとしていたら、隣の席に母子連れがやってきた。
子供はまだ幼稚園くらいで、何かの式の帰りのようだ。
最初のうちこそおとなしくしていたが、すぐに足をばたばたさせはじめ、落ち着かない。
どうしてこんなところに子供連れてくるのだろう・・・・。
これでは店の雰囲気が台無しだ。
子供だって嬉しくないだろうに・・・。
案の定、靴のままソファに登りだした。
すると、スタッフがすっとやってきて、耳元で言う。
「あちらのお席もご用意できますが」。
テーブル係ではなく、キャッシャーを担当していたスタッフである。
その目配りと対応の適切さに、やはり良い店だな、と思った。
でも私は断った。
先程まで席を外していた子供のお母さんが、戻って子供に注意し始めたのだ。
ガミガミ言うのではない。しかし、そうかと言って、形だけ、ということでもない。
「ここはそういう場所ではない」ということをきちんと説明しながら、諭している。
残念ながら子供は静かにはならなかったが、その方は途中で放棄することなく、何度でも言い聞かせていた。
親御さんが気づくことができる人で、すべきことをしているのだから良いか、と、こちらも微笑ましくそれを眺めることができた。
更に、この日はおまけがついていた。
食事を済ませ、お会計をしていると、再び先程のスタッフが言った。
「本日はお子様をお隣にお通ししてしまい、申し訳ありませんでした。」
当初想定したものとは少し違う時間ではあったが、充分に満足していた。
当たり前のことを当たり前にできる人々に遭遇して、確かに良い時間を過ごしたな、と、どこか嬉しく思って、店を出た。
最近の人事のキーワードトップ10
先日、タイトルにあるテーマで30分話しなさい、との依頼があった。これが四方山話でするのならともかく、きちんとした場で、しかも順列をつけなければならない。最初に頭に浮かんだのは、誰にとってのトップ10か、ということだった。ポジションや担当が異なればとらえ方も変わるだろう。次に浮かんだのは、上位5つはスラスラ出たが、その後をどう絞ろうか、ということだった。項目はたくさん出るものの、果たしてこれは6番目か?という疑問を重ねながら推考した。
このテーマに携わって、現在の局面は、以前のようにキーワードが極端に集中した時代ではないということを改めて実感した。少し前であれば、どのポジションの人に聞いても”成果主義”と声を揃えて言ったであろう。流動化しているのは人材ばかりではないのだな、と思った。
さて、私が考えた最近の人事のキーワードトップ10は何か。
1. モチベーション
2. コミュニケーション
3. メンタルヘルス
4. 人件費の適正化
5. 人材育成
6. 若年層の定着・戦力化
7. 業務効率化・タイムマネジメント
8. 新卒確保
9. 評価
10.キャリアパス・キャリアデザイン
対象層をかなり広くとらえて考えてみた結果である。
皆さんも是非考えてみてください。
マンチェスターユナイテッド
昨年12月、サッカーのトヨタカップ準決勝、マンチェスターユナイテッドとガンバ大阪の試合を観戦した。強いチームは必ずそうなのだが、ひとたび敵方にボールが渡ると瞬時に守備体系を整える。この体系がフォーメーションと呼ばれるものであるが、具体的には中盤とバックの2列のラインで形成される。そして、ボールと相手プレーヤーの動きに伴って、その形を刻々と変化させ、あたかも11人のプレーヤーが糸で繋がっているかのようであった。それは本当に見事なもので美しくさえ感じられた。その動きは監督の意図する戦術を忠実に実行し、その上に個々のプレーヤーの瞬間的状況判断が加わっている。この組織力がクリスチャーノ・ロナウドのスーパープレーを支えていると言える。会社における人事制度はサッカーのフォーメーションにあたる。仕事柄、いろいろな会社の組織人事分析を行うが、組織の求める役割と実在する人材との間のミスマッチがいかに多いことか。組織の大きさの割に管理職がとても多く、その管理職が単純作業に従事していたりする。また、年齢別人員構成がバラバラなことも多い。会社を取り囲む外部環境の変化は年々加速しているが、このような組織では変化に対応することは難しい。経営戦略に連動した効率的組織の形成と戦力配置こそが人事制度に求められるところである。
ならぬことはならぬこと
先日、会津若松を訪ねた。本当のことを言うとその先の喜多方でラーメンを食べるのが目的であったのだがそれはさて置き、その道すがら会津藩校日新館に立ち寄った。元々の会津藩校日新館は鶴ヶ城の西隣にあったが戊辰戦争で焼失してしまったそうで、それを現在地に忠実に再現したものだそうだ。会津藩と言えば白虎隊の悲劇だけが有名だが、幕末の混乱状態にあってなお武士道の精神を最後まで持っていた藩としても有名である。その武士道精神を教え込む場が会津藩校日新館であった。
会津藩士の子供たちには6才頃から藩士としての心得「什の掟」が繰り返し教え込まれた。言うなれば会津藩士としてバリュー(価値観)を子供のころから叩き込まれた訳である。ちなみにこれを叩き込まれた白虎隊は戦いに敗れて鶴ヶ城へ戻る道中、戸外で一切の食事を取らず体力を消耗してしまい絶望的になったことも自刃に至った一因とのことである。
「什の掟」(現代語訳)
一 年長者の言うことに背いてはなりませぬ
二 年長者にはお辞儀をしなけれはばなりませぬ
三 虚言を言うことはなりませぬ
四 卑怯な振舞をしてはなりませぬ
五 弱い者をいぢめてはなりませぬ
六 戸外で物を食べてはなりませぬ
七 戸外で婦人と言葉を交えてはなりませぬ
ならぬことはなりませぬ。
さて「ならぬことはならぬこと」つまり「駄目なものは駄目」というのは現代の我々には改めて新鮮な印象を受ける。それは我々がついつい忘れてしまいがちな物事の本質に対する「心の緩み」を戒める強烈な言葉だからであろう。自分自身に対して、あるいは部下に対して「駄目なものは駄目」と言える強さをもっと持たないといけないのだ。
会社組織を束ねる上で、全社員の行動を律する最後の拠り所としてバリュー(価値観)の共有が重要であることをコンサルティングの場でお客様に説明する機会は多いが、本当の意味でこれが全社員に徹底できている会社は少ない。しかし現在の困難な経済情勢の中で日本企業が立ち直るために必要な組織求心力を高める上でバリューの明確化と共有は極めて重要な要素の一つであろう。
無事な時こそ
先日、友人がメールで窮状を訴えてきた。自宅のパソコンが突然動かなくなったらしい。私もこれまで同様のピンチを迎えた経験が2回ほどある。一番の心配事は「中にある膨大なファイルは無事だろうか」ということ。もっとマメにバックアップ作業をしておけばよかった…と後悔したところで、パソコンが普通に動いている日常の中で、自宅のパソコンのバックアップ作業なんて、そんなにいつもするものでもない。そして、パソコン復旧の直後から、せっせとバックアップ作業をし始める。
健康と同じだな、と思う。日々の予防が大事だということを頭ではわかってはいながらも、元気でいるうちは、ついつい暴飲暴食、運動不足、睡眠不足…をやり過ごしてしまう。そして、いよいよ体調が悪くなった後、生活習慣を見直し、運動不足を解消しようと意識し、行動を開始する。
企業の人事施策はどうだろう。バブル崩壊、世界不況というピンチを迎えるたびに、組織や人事の課題がクローズアップされてはいないか。健康な時にはもっといろいろな予防施策を講じることができたはずなのに、体力が落ちてしまってからでは、実行可能な打ち手も限定されてしまう。また、「消えてしまったファイル」は元には戻らない。元気な時、無事な時こそ、ピンチを想定した行動を起こさなければならない。
友人のパソコンは中身も無事に復旧したらしい。今後はマメにバックアップ作業を行っていくとのこと。ただ、不思議なもので、その手の悲劇はリスク対策意識が希薄になるのを見計らったように繰り返されるもの。頭ではわかっているのだが…。
ジョギングを続けたい私
みなさん、運動してますか?
東京マラソンの影響なのか、ジョギングやランニングの人気が高まってきて、関連する商品の売れ行きも好調のようです。
流行に押されてか、私も久しぶりにジョギングを始めました。
元々、走るのは好きなんです。なので、以前もランニングをしていた時期はありました。
問題は、なかなか継続しないこと。今は、楽しいが今回こそは長続きするのか。
やるからには、できる限り長続きさせたい、、、。というわけで、重要なのはランニング習慣の継続を促す「インセンティブ」です。
人に行動を促す際に誘因となるものを「インセンティブ」と言います。
○○Km走ったとか、タイムが○○秒短縮したとか、スリムになって体重が○○Kgになった体脂肪率が○○%になったとか、で、その目標達成したらこんなご褒美を、、、ということでは、残念ながら私にとってはインセンティブとはならないようです。それは、これまでの挫折の経緯と現在の体型が証明しています。
じゃ、今の私の「インセンティブ」は何か。
「携帯電話を持って走り、走ったコースを地図上に記録する」というのが、今の私のインセンティブになってます。
携帯電話にはGPSが搭載されていますので、周辺の地図を呼び出して地図上に走行したコースを記録していきます。それはもう、細い路地や公園の中の遊歩道まで、走ったコースや高低差、時間やペースなどが細かに自動記録されます。
仕事がら出張に行くことも多いので平日は出張先で、休日はちょっとドライブして見知らぬ町を、ジョギングさえすればその町の記録として地図上に軌跡を残して記録し、あとから見ることができるのはとても楽しい、、、。私にとっては、先々の目標のクリアより、これまでのプロセスの振り返りの方が、満足感を与えてくれるのだということを改めて感じました。
人事制度上のインセンティブを議論する場合、成果に応じた処遇のあり方によってインセンティブを与えて行こう、具体的には営業成績や目標達成度に応じていくらかの成果給やボーナスを支払うことにしよう、といった内容が中心となることが多いと思われます。
ですが、社員には、結果ではなく結果に至るプロセスについてもこだわって評価してもらいたい、次にもっといい仕事の進め方となるようにしっかりと振り返り仕事の質を高めたい、という動機もあり、そこに働きかけるインセンティブもあろうかと思います。
私のジョギングの例のように、やってきた仕事を臨場感のある形で振り返る仕組みができれば、それだけでも社員を動機づける重要な取組になるかもしれません。ただし、携帯を持たせて行動を自動で記録、というのは、この目的では逆効果でしょうね!!
「コミュニケーション」に欠けているもの
「えっ?じゃぁ日本語は喋れないの?」
「あー、そうなんだぁ」
「えーっと、えーっと、なんて言えば良いんだ?」
とある駅でのこと。
女子高生2人が外国人男性と話していた。おそらく同じ英会話学校に通う2人とその講師である。
男性がほとんど日本語を話せないので、相手の話す英語を一生懸命理解しようとし、片言の英語で一生懸命何かを伝えようとしていた。
ビジネスの世界では、「コミュニケーション」という言葉がもてはやされて久しいが、多くが「コーチング」や「プレゼン」など、テクニカルスキルの話に終始している。
勿論テクニックはないよりもあった方が良いし、ビジネスにおける「コミュニケーション」は「相手を納得させること」が付いて回るのだから、通常とは異なるものとして捉えるべきなのかも知れない。
しかし、テクニックばかりが先行してしまうのは、なんだかとても危険な気がする。
実際、人の話が終わらないうちから話し始める人のなんと多いことか。
相手の話を聴いていたら、絶対に出来ないような質問。
いかにも聴いてなさそうな相槌。
あるいは解っていないことを証明してしまうコメントや行動。
全く心に響かない話を自信たっぷりに、とても滑らかに話し続けている人さえいる・・・。
コミュニケーションとは何か。
女子高生の拙いながらも熱心なやり取りに、その本質を見た気がした。
藤の花
隣の家が通り沿いの壁に藤の弦を這わせている。毎年、春になると綺麗な花の房を付けるが、今年は一段と見事な出来栄えであった。隣のご主人は現役を引退し、今では植木の手入れを日課としている。とても不愛想な人で、その上、子供のころ隣家の壁に向かって一人でキャッチボールをしていたところ、このご主人に怒られたことがあり、苦手意識を持っていた。顔を合わせれば軽く会釈をする程度で、話しをしたこともなかった。近所においしい魚料理を出す割烹がある。時々、晩飯がてらに立ち寄るのだが、そこの女将は、私が子供のころ魚屋のおかみさんだったひとで近所のことはよく知っている。藤の花が真っ盛りのころ、一人で食事をしていると、女将に「お宅のお隣の藤の花、見事ですねえ」と話しかけられた。「あれだけの花を咲かせるのは手入れが大変だよ。褒めてあげた?」と言われたので「そんなこと言わないよ」と子供のころの話をすると、笑いながら「そういう時は、褒めるもんだよ。今度、褒めてごらん」と言われた。後日、このご主人が外にいる時に「きれいですね。手入れが大変でしょう。」と話しかけると「そうなんだよ。」と手入れの苦労話をしてくれた。その時のうれしそうな顔はとても印象的だった。もちろん私の苦手意識もなくなった。人事に係わっていると「人間関係の形成とは?」などと考えることも多いが、ちょっとしたきっかけで変わるものなんですねえ。
虹を渡る
連休も終わりかけの夕方の時間。
四ッ谷駅を出て小雨が降る中を帰社途中で遭遇した虹。
消えかけてはいたが、それはちょうど会社のビルの上空にあった。
なんてラッキー!こんな構図には二度と巡りあえない。大急ぎで携帯カメラに収めた。
以来、時々眺めるようになった。それは決まって仕事に関する考えをまとめたい時。
今日お会いした人事部長の真のメッセージをちゃんとキャッチできたのか、会社や部下のさらなる成長のために何ができるのか、そして、イマノジブンハタノシイデスカ?などなど。
最近は、自分が常にチャレンジ指向であるかどうかを振り返るために、虹を思い出すことにしている。
虹は渡れない。いつか消え行く。同じ虹は二度とない。
そうと分かっていても、虹に辿り着こうと努力しているか、無駄な努力と最初から諦めていないか、崇高な精神を保とうとしているか。
人に関する悩みは尽きない。それを扱う人事部を私はリスペクトする。と同時に、困難な課題に対して諦めずに一緒に虹を渡りませんか、と心の中で願う。
アリはなぜ働き者なのか
田舎に住んでいるので庭で何本かバラを育てているのですが、放っておくとバラの蕾を目当てにたくさんのアブラムシ(小さい緑色の虫です)がついてしまいます。先日消毒しようと思いアブラムシを観察していると、周りをアリが行ったり来たりしているのに気付きました。何故かと思い調べてみると面白いことに彼らは共生しているのだそうです。つまりアリはアブラムシが出す甘い分泌液をもらう代わりに、アブラムシを天敵である蜘蛛やてんとう虫から守っているのです。
誰に教えてもらった訳でもないのに、何故アリはそのような行動を取るのか不思議ですが、そもそもアリの組織そのものが極めて興味深いものです。子供の頃に学校で学んだかと思いますが、一つのアリの集団には1匹の女王アリがいて、その他のアリは全て働きアリです。もちろん働きアリの実際の役割は更に分化していて、戦闘アリ、子供を育てるアリ、餌を探すアリ、巣を整備するアリ、等の役割を担っています。しかし、彼らは女王アリからの指示を受けて働いている訳ではありません。女王アリは一生の間ひたすら卵を生み続けるだけで、働きアリには一切の指示は出さないのです。
ここからが本題です。では働きアリはどのようにして自分に与えられた役割を果たすべく、自身の行動を決定しているのかということです。答えを先に書いてしまうと、例えばある働きアリが餌を見つけたとするとアリはそれを他のアリに知らせるフェロモンを出すのだそうです。そしてそれを感知した他のアリは一斉に餌を取りに向かいます。こうして働きアリは女王アリからの指示を受けることなく自律的に自らの役割を果たすことができる訳です。もちろん、アリのような人間に比べてはるかに知的レベルが低い昆虫でもこのような組織行動が取れるのは「餌を取る」、「敵と戦う」ように行動目標が単純だからなのですが、逆な言い方をすれば行動目標を単純化、シンプル化し、コミュニケーションのルールをきちんと決めておけば人間の組織でももっと自律的に行動できる組織が作れる可能性を示しているのではないでしょうか。
さて、ここまで書いてきたのはアリの世界の話であり、アリは生きるために本能的に働く訳で、人間のようにモチベーションが重要な知的生物とは別物ではないかという意見があるかも知れませんので、最後に面白い話を一つ。
アリの世界にも懸命に働くアリ、普通のアリ、怠け者のアリがいて、ある人が実験で懸命に働くアリだけを集めて別の集団を形成してみたところ、元々は懸命に働くアリがまた懸命に働くアリ、普通のアリ、怠け者のアリに分化したそうです。アリの頭の中にもモチベーションの概念があるのでしょうか。
どうしてマスクが欲しいのか・・・??
ひと頃、毎日トップニュースで報道されていた「新型インフルエンザ」も、徐々に他のニュースに主役の座を奪われつつある。
先月の終わり、職業柄いろいろな方とお会いする機会が多いのだから予防とエチケットだ、と近所の大手薬局チェーンにマスクを購入しに行ったのだが…ない。人間、こうなると不思議なもので、当初の予防とかエチケットとかいう目的はすでに見えなくなり、「マスクの入手」がミッションとなって探し回るのだが…ない。
そんな時、乗ったタクシー運転手の方がマスクをしていたので、「希少な」マスクをどうやって入手したのか聞いてみると、奥さんの九州の実家に連絡して、数箱買って送ってもらったと言う。全国を巻き込んでの希少資源の争奪戦である。
古くはトイレットペーパーに始まり、最近でも鋼材、ガソリン、ETC、そしてマスク…理由はいろいろあるのだが、何しろ日本ではこの手の話に事欠かない。おそらく、私と同じで、なぜ入手するか、ではなく、いかに早く入手するか、が目的化している。
企業の人事においても、「成果主義」が大いにもてはやされ、我先に「入手」した企業も多かった。また、つい昨年あたりまでは様々な場面に登場した「ライフワークバランス」という単語も、不況の波に流されたか、最近では目にする機会が減っているような気がする。人事施策の導入においても「自社にとって、なぜそれが必要なのか」を常に真剣に考えたいものである。
書店にて
最近、書店に行ったとき、経済誌の棚を眺めたら、
・疲弊する●●経済
・●●総崩れ
・●●危機いまだ去らず
・逆境強まる●●業界・・・等など
非常にショッキングで、不安をあおるような見出しばかり目に
付きました。
一方、別の棚には、感情マーケティングとか、心理経済学といった人間の心理状態が消費や経済に影響を与える事をトピックとした本が並んでいます。
最近は、『経済人』ではなく、『実際の人間』として、人間がどのように経済行動をするかを研究する『行動経済学』が見直されているようで、その立役者ともいえるダニエル・カーネマンは2002年にノーベル経済学賞を受賞しています。
人間の意思決定というのもは、100%合理的に行われるものではないので、実際の経済状況がどうであれ、市場の空気が悲観的であれば、財布の紐を締め、逆に、明るい見通しを当局から示されれば、それなりに安心して消費や投資を行うものなのでししょう。
こうした考え方に意識してかどうかは、わかりませんが、アメリカの経済見通しについてのバーナンキFRB議長の発言は、いつも無理やり、明るい、比較的楽観的な表現になっている感じがします。
☆☆☆ ☆☆☆ ☆☆☆
企業業績が悪化して、多くの企業で人件費の削減や人員カットなどの人事施策が行われていますが、そうした施策は今後、企業を永続させ、さらなる発展をするために行われる必要なステップであるはずです。
厳しい施策を行う際であっても、悲観的な面ばかりを強調し、必要以上にモチベーションを下げてしまってはいけません。将来の明るい見通しやビジョンも合わせてしっかりと伝えていくことが必要ではないでしょうか。
適材のための適所づくり
昨年のM1グランプリで敗者復活戦後に準優勝したお笑いコンビ「オードリー」。
脈絡なく何を言い出すかわからない「怪人」春日くんをつっこみで巧みに制御して笑いを創り出す若林くんの漫才は、ある種「猿回し」にも通じた古くて新しい面白さがあって、テレビに出ると必ず観てしまいます。
で、彼らがネタを作るときどうしているかと言えば、
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若林「コンビを組んだ当初は、セリフを一語一句考えて、書いてました。でもせっかく台本を作っても、春日が間違えてばかりで、ネタが飛ぶ飛ぶ!春日は春日でしかないとアキラめて(笑い)、コイツのキャラクターを生かすようにしたんです」
春日「まあ、春日という素材は抜群なわけですからね。生かすも殺すも料理次第ですよ。フフ」
若林「ノートの書き方も変わった。いまは、流れを大雑把に書いて、思いついたアイデアをどんどん書き足す。後から見直して、順番をつけるやり方です。」
(雑誌「DIME」記事より引用)
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素材を生かすためにネタの作り方を見直すというのは、シンプルな解決策ですがなかなか実践できない、とても興味深いやり方だなぁと感じました。
例えば、企業の中で人材活用を考える場合でも「適材適所」となるように配置を考えます。
こうした場合には「この人を活かせるような職場に、配置を変更する」という発想に向かってしまいがちですが、「適材」に対して「適所」を選んで配置したと思っていた職場で、なかなか以前のような個性・持ち味を発揮できない、といったケースも少なくありません。
人の個性や持ち味は、必ずしもその人からふつふつと湧き出てくる部分だけではなく、周囲の人間関係や職場環境がうまく作用して引き出され、作りだされる、総合的なものであると言えます。
ある人の個性・持ち味をもっと引き出そう・活かそうと考えるならば、その人の周囲の人間関係や環境も含めた全体に働きかけて、変化を促したり問題を解決したり活性化を進めたほうが、実は早道であったり効果的であったりすることも多いでしょう。
「この人を活かせるような職場に、職場を変えていく」ということ、「適材」のために「適所」を作り上げることも、マネジメントとして重要な視点であると言えます。これもシンプルな解決策ですがなかなか実践できないことです。
「適材適所」で素材も料理人も活かす、面白いキャスティングと設定でビジネスの舞台を盛り上げることも、人事部の重要な役割ですね。
剣道少年
近所に剣道の道場がある。日曜日の午前9時から11時までは小学生を中心とする子供の部、11時以降はおとなの部になっている。日曜日の朝、道場の脇の道を歩くと、「メーン、メーン」と、50人ほどの子供たちの元気な気合が聞こえてくる。
稽古の終わりに、先生の「着座!」という号令がかかると、全員整列して床に正座し、「黙想!」という号令で静かに目を閉じ、精神統一する決まりになっている。ところが2年生や3年生の子供は、稽古しているのだか遊んでいるのだか区別がつかないようなやんちゃ坊主たちだ。先生がひとこと号令したくらいでは収まらない。やっと着座しても、胴の紐がほどけていたり、面がだらしなくころがっていたりすることがある。
そんなとき、先生が何も言わないのに、何人かの5、6年生が立ち上がり、小走りに彼らの傍らに寄る。やんちゃ坊主たちに後ろから何か小声で話しかけ、胴の紐を結んでやったり、面の置き方を教えて直させたりして、速やかにまた、自分の位置に戻って着座するのだ。教えられたほうも、この時はなぜか神妙に先輩の言うことを聞く。
少し年上の先輩が、少し年下の後輩に教える。とても自然な、流れるような行為である。職場でもこのような「教え」の場面が豊富にあればいいのだろうな、と考える。親ほど年の離れた上司が、「俺の背中見て育て」などと言っても若い社員はよく理解しない。年の近い先輩から後輩に、丁寧に仕事の技術を継承していくような組織が作れたら、きっと底力のある会社を作ることができることだろう。
受話器は左手で・・・はベストか?
「・・・左耳だとよく聞こえないので・・・」
電話の出方を注意された時は、いつもそう答えてきた。
多くの会社では、ビジネスマナーの一環として電話の取り方を教える。
この時、「受話器は左手(利き手でない方)で持ちましょう」と教えるのも一般的なことだろう。
これは、「利き手を空けてメモを取れ」ということであり、
メモを取るからには受話器を逆の手で持たないと「見苦しい」からだそうだが、
果たしてこの指導は正しいか。
当の私は、初めだけやってみて、すぐにやめた。
なぜなら 聞こえない から。
とは言っても、聴力にはなんら問題はない。勿論、音は聞こえている。
ただ、なんとなく理解がワンテンポ遅れるような気がするのである。
実は、人にはそれぞれ利き腕があるように、利き耳 があるらしく、
利き耳でないと「聞こえづらい」などの違和感を覚えることがあるのだそうだ。
実際には、左右の差があまりない、所謂「両利き」の人がほとんどらしいが、
長年の「聞こえない」感じは、なにも「気のせい」ではないらしい。
現に長年研究を続けている人もいる。
それならば、「受話器は左手で持ちましょう」というのは、ベストな指導ではないかもしれない。
確かに「見苦しい」よりは「美しい」方が良い。
しかし、今更 「利き手でなくとも箸を使える練習」をするよりは、
「利き手で箸を上手に使う練習」をした方が到達レベルは高いのではないか。
「電話は聞き耳で受けましょう」
大阪のレストランにて
先日、出張で大阪に行ったとき、ランチを摂ろうと、辺りを見回すと、世界的に有名なレストランの大阪店がありました。
ロンドンに暮らす2人のアメリカ人がはじめたこのレストランは、その後瞬く間に、世界中に広がり、いまや数十カ国に100店舗以上あると言われています。東京店は、六本木にあり、時々、私も立ち寄りますが、スタッフの笑顔と丁寧な対応には、いつも感心しています。
ちょうどランチタイムということでしたので、そのレストランにさっそく入りました。中には、有名なロックスターののギターなどがさりげなく飾ってあり、なかなかいい感じです。
さっそく注文をとメニューを見たら、思わずびっくり。
ステーキランチ 1,000円
六本木の同店の価格水準と比較してもかなり安いですし、他店でも、東京の繁華街でこの値段で、ランチといえどもステーキを食べられるお店を私は知りません。
同じ商品やサービスであっても、地域によってその価格は異なることは、当然なのですが、東京という場所は、いかに物価が高い所だということを、改めて感じさせられました。
我々、人事コンサルタントの立場では、この物価の地域差は、よく議論になる領域のひとつです。企業の中には、全国に職場があり、頻繁に、社員の転勤が行われるところも少なくありません。
賃金制度を設計する際、地域差をどのように、賃金に反映させていくか、いろんな考え方があり、我々なりの考え方も持っていますが、絶対にこれが正しいという理論はまだ確立されていないと思われます。
全ての商品・サービスに価格差があるわけではなく、インターネット通販などで、全国どこでも同じ価格で買える商品・サービスもあります。転勤により移り住むことに対して、望ましいと感じるケースもあれば、そうでないこともあるでしょう。
地域差をどのように賃金に反映させるか、まだまだ、議論は続いていくのでしょう。






