
見過ごしがちな日常の出来事も、よくよく見ると面白い!
トランストラクチャのコンサルタントが感じたこと興味を持ったことを記していきます。
米どころ新潟
最近、仕事で週に1,2回新潟県へ出張している。毎回上越新幹線に乗って出掛ける訳だが、さすが新潟は米どころと言われるだけあって水田が多く、先週あたりから稲刈りの光景があちらこちらで見られるようになってきた。今年は夏の日光が不足気味で不作と言われていたようだが、何とか稲刈りまで辿り着いたのはご同慶の至りである。
しかし何回か行き来して繰り返し水田を見ているうちに、いくつか気になることが生まれて来た。まず休耕田で存在である。特に都市近郊ではこれが著しく、単に休耕田になっているというよりは廃材置き場やスクラップ置き場になってしまっている所も少なくない。また水田から畑への転作も目立つ。恐らく販売用に米を作っても米価が思うようでないので生産者が自給のために畑で野菜等作っているのだろう。そして最も気になったのは水田の稲の間から背の高い雑草がたくさん生えていることである。しかもこのように雑草が生えたままの状態の水田が極めて多いのである。農業従事者が高齢化して水田の管理ができなくなったのか、兼業農家が増えて雑草取りをする時間がなくなったのか、理由はいろいろ推測できるが、いずれにせよ米どころ新潟でさえ水田が段々荒れた状態になって行くようである。もしかするとこれは私の誤解であって除草剤を撒かない自然農法なのかもしれないが、理由はともあれ雑草取りがなされていない水田は荒れた印象を受ける。この光景を見たらコシヒカリが持つブランドの威光はいつまで保てるのだろうかと他人事ながら心配になってしまう。
企業も高いブランドイメージを構築するには多大の努力が必要とされるが、それを維持して行くのは更に多くの困難が伴い、油断するとブランドイメージはあっと言う間に地に落ちてしまうことは、多くの事例が物語っている。コシヒカリがこれからも日本一のコシヒカリであり続けて欲しいと思うが、問題の根は深いようだ。
終わりなき改善
景気回復が遅れ、状況が好転しないためか業務改善の仕事が増えている。トヨタを筆頭に業務改善は日本企業のお家芸とも言えるが、物を改良・改善して行く努力は人間の本能なのかも知れない。産業革命以降の産業機械や乗り物の発達には驚くべきものがあり、100年前に初めて空を飛んだ人類が今や国際宇宙ステーションに長期滞在し、将来的には火星旅行が現実のものになろうとしている。
同様に動植物の品種改良にも目覚ましいものがある。元々は鮒(フナ)だった金魚は、まずは赤いフナ尾となり、そのうち目が飛び出したもの、頭に瘤を持ったもの、鱗が丸くなったもの、目の下に水疱を持ったもの、背びれがなくなったもの、等の特徴を持った多種多様な姿に形を変えて行った。元々は狼(オオカミ)だった犬は人間が求める目的に即した犬として狩猟犬、牧羊犬、番犬、愛玩犬としてたくさんの種類が生まれた。元々は南方の野生種だった米(コメ)は北上するにつれて、その地域の気候や人間の嗜好に合わせた多様な品種が次々に開発されてきた。このように次々に新しい品種が開発されても、人間が求めるものには際限がない。より役に立ち、より美味しく、より生産性が高く、より美しく、等々のより高いレベルのものを求めて更なる品種改良が進められるのである。
業務改善も同様であり、トヨタが乾いた雑巾をさらに絞るように改善活動を続けてきたように、過去現場での改善活動やホワイトカラーの生産性向上、等をやってきたはずの日本企業も再度更なる改善が必要な状況なのかも知れない。厳しい時代が続くようだ。
通勤電車
通勤でJRと営団地下鉄を利用している。滅多に座れることはないが殺人ラッシュと呼ばれるようなことはない。昔の通勤ラッシュはひどかった。その混み様は尋常ではなく、駅には乗客を押し込む専用の職員がいたものだった。乗り切れない乗客の背中を押して詰め込むのだが、今から思うとずいぶん乱暴なことをしていたものだ。もちろん本を読むゆとりなどなく、カバンはしっかりと抱えていないとどこかへ持って行かれてしまう。今では交通インフラが格段に整い、このようなことはなくなったが、その分、些細なことで不快な思いをすることが多くなったように思う。隣に立っている人がカバンを床に置いているため、少し電車が揺れただけで足の踏み場がなく倒れそうになってしまう。高校生や若いサラリーマンに多いが、込んだ車中では荷物は手に持つことは常識だろう。また、無理やり本を読んでいて、本が人の頭にコツコツあたっている。度が過ぎると注意するが、たいていの場合は我慢してしまう。要するに、人のことを考えない自分勝手な輩なのである。以前は、もう少し人に迷惑をかけないという精神があったように思う。互いに少しでよいから相手のことを考えれば不快な思いをせずに済むはずだ。ところで、今ではどの車両にもシルバーシートがあるが、本来こんなものは必要ない。誰もが、いつでも、お年寄りや子供を抱いた母親に席を譲ればよいだけのことである。人はいくら強がっても誰かの助けを受けて生きてきたのだし、いずれは自分も老いるのである。社会がどんなに便利になっても人の心がこれではいけない。何とか心のインフラを再構築できないものであろうか。
これからが本番です
第45回衆議院選は、民主党480議席の内308議席を獲得し、政権交代を問う「歴史的選挙」となった。しかし、これが本当に「歴史的」かどうかは、全てこれからの動きによるだろう。
昨夜時点のテレビ番組のインタビューやインターネット上で飛び交う情報を見る限りでは、「(とにかく)政権を交代させたい」、「(そうすれば)もしかしたら、何かが変わるかもしれない」、「政権交代したらどうなるのか、(それで)何かが本当に変わるのか、見てみたい」という意見が多かったような気がする。有権者の多くが自民党には期待できないと判断したというのは確からしいが、必ずしも民主党の政策が支持された、ということでもないようだ。ただ「交代した」だけではなく、「本当に変わった」と実感させなければならない点では、民主党の戦いはこれからが本番と言える。
会社の社長交代も、人事制度変更も同じこと。「変わる」ということに対して、人は何かを期待する。知らないうちに会社は「試されて」いたりもする。実感できる変化を届けなければ、受け手にとっては「意味がない」。
奇を衒う必要は全くないし、何かを強行に進めることが良いとは思わないが、「変わった」「変わろうとしている」ことを実感させるだけの一貫した姿勢を示すことも、組織として、あるいはリーダーとしての信頼を勝ち得るためには必要だ。
