
見過ごしがちな日常の出来事も、よくよく見ると面白い!
トランストラクチャのコンサルタントが感じたこと興味を持ったことを記していきます。
マイケルジャクソンは、経営者にもなれた!?
先週末、先日亡くなったキング・オブ・ポップ、マイケルジャクソンの
映画、"THIS IS IT" を観て来ました。往年は、奇行ぶりばかり目立つ彼
でしたが、最盛期の世界中を魅了した楽曲の数々に触れて、改めて、彼の
非凡なるエンターテインメントに対する感性と情熱に敬服すると共に、
ただただ、楽しい時間を過ごすことができました。
一緒に鑑賞していた他の多くの観客の人々も同じだったようで、
映画でありながら、エンディングでは、自然と大きな拍手が映画館の中に
鳴り響いたのでした。(個人的に、映画を見て観客から拍手が沸き起こったのは、
その昔、スピッルバーグの映画、ETを見た時以来、2度目の経験でした。)
この映画は、単なるライブ映像ではなく、コンサートを成功させるために、
メンバーが一団となって取り組む姿を追ったドキュメンタリーと
いったほうが、正確な気がします。
見ているうちに、
これは、一般企業の組織の中で起こっている出来事とも重なって
見えてきました。
・優秀なダンサーを採用するためのポリシー
・メンバーをモチベートさせるコミュニケーション
・高いレベルの完成度を求めるトップの姿勢
・観客ニーズへのこだわり 等・・
わずか2時間の映画の中に、我々企業人として学ぶべきこと、共感すべきことが
たくさん詰まっていました。(あまり書くとネタバレになるので、止めておきます。)
おそらく、マイケルジャクソンは、ビジネス界であっても立派なリーダーに
なったのではないでしょうか。
年末調整
そろそろ、年末調整の時期である。どうやって乗り切ろうかと頭を悩ませている総務人事の方も多いことだろう。日本の会社では、源泉徴収で所得税を給与からあらかじめ引かれることは誰でも知っている。この制度は、戦争中に、軍費を確実に集めるために採用されたことが始まりらしい。戦後60年以上経って、こんなところに戦時体制の影が残っているのかと驚いてしまう。今でも、税金を取っぱぐれないためにはとても有効な制度だろう。他方、納税する側にとっても、面倒がなくてよい。しかし、ちゃんと意識していなければ、自分の給料から何が引かれ、何が控除されているか気がつかない。学校を出て暫くは、納税の意識は全くなかった。
1980年代の数年間、香港で働いていたことがある。当時の香港はイギリス領で、自分で申告しなければならなかった。赴任した当初、必ず、毎月の給与から税金分を残しておくようにと、何度も念を押された。余程、金遣いが荒いと思われたのかもしれない。おかげで一年後に金がないということはなかったが、今度は申告方法がわからない。アカウントマネージャーに、どの用紙に何を記入し、どこに行って提出すればよいか、手とり足とり教えてもらった。申告場所に行ってみると、宝くじ売り場のような窓口が2~30並んでいて、納税者は書類を手に列を作っていた。無事手続きはできたのだが、日本でも源泉徴収が無くなると、こういうふうになるのかと思ったものだ。
個人が納付すれば、手間は1人分だが、毎月の給与から会社が徴収すれば、その手間は会社の規模に比例して増大する。この制度は、徴収する側と納税する側にとっては便利なものだが、間に入る企業の負担は相当なものになる。そして、結局、その見返りが何なのかはよくわからない。
冬の使者
夏から新潟への出張が定期的に継続しており、季節は間もなく冬を迎えようとしている。初めは青々としていた越後平野の田の稲は秋には黄金色になり、先月上旬またたく間に稲刈りが行われた。稲刈り前にはシラサギやアオサギが水中の餌を探している姿が田のあちらこちらで見られ、車窓からその姿を見るのを楽しみにしていたが、稲刈りも終わり彼らの姿を見ることができなくなってしまい寂しい思いをしていた。
しかし3週間ほど前から稲刈りが終わった田に数十羽の白い鳥が群れている姿を見ることが多くなった。シラサギの群れかとも思ったが、新幹線の線路からはかなり離れている場所だったので確認できずにいたのだが、先週初めて線路に近い場所の群れを観察でき、改めて良く見るとなんと白鳥の群れであった。しかも場所は新潟の市街地に隣接した場所であり、都市の間近で白鳥が見られることに驚いた。
さてその同じ出張で客先への訪問後、新潟駅までの帰路に海岸沿いの湖がある公園近くで食事をすることになり、レストランから窓越しに湖を見ていると渡り鳥と思われる鳥が多数泳いでいるのが見えた。店の主人にどんな鳥が来るのか聞いたところ、朝晩には湖が白く見えるほど多数の白鳥が来るとのこと、昼間は田に餌を探しに出るのでほとんど姿は見えないとのことだった。ここでようやく新幹線から見えた白鳥の群れについて合点が行った。彼らは夜間は安全な水上で過ごし、昼間餌を求めて田に出るのであろう。
出張では駅と宿と客先の往復ばかりとなることが多いのだが、このような予期せぬ出来事に遭遇し、しかも東京ではまず目にするのが難しい冬の使者に会うことができ、とても満たされた気分になれた。移動が多いコンサルティングの仕事の中で、貴重な息抜きの瞬間であった。
統制
はっきりとしない天気が続くが、時季は観光シーズンの真只中、出張途上の空港で多くの修学旅行生の団体と出会う。
学校によって制服がさまざまであるように、生徒たちの態度もさまざま。行儀の良い生徒が多い学校もあれば、やんちゃな生徒ばかりが目立つ学校もある。
先週、羽田空港にいた修学旅行生の団体は、実によく統制がとれていた。一糸乱れず整列し、私語することもなく搭乗の順番を待っている。よく見ると、引率の先生は小さな女性の先生。「今日の旅程」を説明する声はとてもか細いものだったが、皆静かに耳を傾けていた。いざ搭乗の段となると、生徒たちは一斉に立ち上がり、お互いに、「静かにね」「さわいじゃだめだよ」と小さな声をかけあっている。気を緩めたら大声ではしゃいでしまいそうなのを、一生懸命自制し、周りに迷惑をかけないようにしているのだ。普段からの躾なのか、旅行に際しての厳命なのかわからぬが、怖い先生が目を光らせていなくても、自らを統制しているのだった。
他方、昨日出会った生徒の団体は、立派な体格の男の先生が声をはりあげているのに、一向にまとまらない、お世辞にも行儀が良いとはいえない団体。列は乱すし、勝手にトイレにいくし、走り回るし、旅行会社の担当者の説明はまったく聞いていない。あちらでふたり、こちらで三人、大声を出してじゃれあっている。搭乗を待つ早朝の10分間、静かに目をつぶっていたいと思うが、うるさくてそれどころではない。搭乗のとき、それでも、客室乗務員の挨拶に、ひとりひとりが大きな声で、「おはようございます!」と応じていた。なぜだかほっとした。
賢人の言葉に思うこと
「いまそれをしなかったらいつ出来る日があるか」-ユダヤのタルムードという聖典に出てくる言葉である。ふと手にした本に見つけたその言葉が妙に気になった。
タルムードは、紀元前500年から紀元後500年までのユダヤの口伝を、2000人の学者が10年かかって編纂したものだという。古くは教師から生徒に伝えられた内容で、文化や道徳、宗教、伝統が記されている。そこから何を見出すかは、学ぶ者によるのだろうが、現代もユダヤの人々の生活規範となっているそうだ。冒頭の言葉は、その中に出てくるヒレルという偉大なラビ(ユダヤ教の僧侶)の残した言葉として紹介されている 。
私たちは、仕事もプライベートも「優先順位をつけて」「メリハリをつけて」と言っては、常に何かを後回しにしている。実際にそうせざるを得ないし、いかにこれをうまくやるかが、昨今の流行のテーマでもある。しかし、いつだってそれは、予め区切られた時間の使い方の話でしかなく、「無理なく出来る範囲でどうするか」という話でしかない他との比較を離れて、そのこと自体の独立事象としての重要性を考えたり、「出来る範囲」の是非を問うことはあまり多くない。 かく言う私も、少し前までは、いつも何かを端折っている感じが気になっていたのに、いつの間にか、その気持ち悪さを感じなくなりつつある 。
「いまそれをしなかったらいつ出来る日があるか」-時々思い返してみる必要がありそうだ。
歴女
先日、お酒を飲みに行った時のことである。二十代前半の女性が接客に就いた。この位の年齢だと話題は限られるし、相手に合わせることもあまり上手ではないので、大抵の場合、話は進まない。二言三言さし障りのない話をしていたが、先方もこちらの話に関心はなさそうだった。しばらくたった後、地方に仕事で行った折、お城を見物した話をすると、急にこの女性の目が輝きだした。この女性は、戦国時代の城や武将にとても興味があるとのことだった。巷では、このように歴史好きの若い女性が増えており、歴女と呼ばれているらしい。
昔は、戦国武将と言えば、男性サラリーマンの独壇場で、歴史小説を読んでは、戦国時代という極限の中で下された決断力や洞察力を、現代社会におけるそれらに例え、熱弁をふるっていた。山岡荘八の徳川家康がブームになれば、多くの経営者はその忍耐力を我が経営に例えた。戦中戦後の苦難を乗り越え、会社を発展させた人たちの琴線に触れたことは容易に想像される。
津本陽の織田信長の新聞小説が評判になれば、そのリーダーシップを経営評論家が絶賛したものだった。この小説は、80年代後半のバブル景気の時代に連載されていたのだが、信長の持つ先進性と本能寺へと続く破壊性が、その後のバブル崩壊を暗示していたかのように思える。
ところで、この女性は、前田慶次郎というあまりリーダーシップを感じられない戦国武将が贔屓だと言う。そして、その武将のことはマンガで知り、ゲームを通じて好きになったそうだ。今回の戦国武将ブームは、今の時代をどう読み解いたらよいのだろう。私は、また会話に詰まってしまった。
エコロジーの時代
エコロジーの時代である。車はプリウスやインサイトに代表されるハイブリッド車に乗らなければエコではなく、旧式のRV車に乗っている私は肩身が狭い。売ってももはや二束三文の車だが、廃車にしてエコカーに買い替えると数十万円の補助金が出るそうである。まだまだ走れる車なのにである。ゴミも徹底的に分別回収され、私が住む街ではなんと12種類のゴミに分別しないと回収してもらえないとかで、使用済みのガラス瓶や缶を洗剤で洗うことまで強制されるらしい。太陽光発電のためのソーラーパネルを自宅の屋根に取り付けるのも流行りで、取り付けると100万円近い補助金が出るとのことである。
エコロジーを否定するつもりはない。しかしまだ走れる車を廃車にしてハイブリッド車を購入することが本当にエコなのか、使用済みの瓶を洗剤とお湯で洗うのが本当にエコなのか、太陽光発電が本当にエコなのか良く考えるべきであろう。つまりエコのために投入されるエネルギー量とそれによってセーブされるエネルギー量は当然後者の方が多くあるべきだが、本当にそうなっているかと言う問題である。
私の乗っている旧式のRV車は確かに燃費は良くないが、かと言ってハイブリッド車との燃費の差はハイブリッド車1台を新たに生産するのに要するエネルギー量を上回る程のものなのか。二酸化炭素排出量の違いが問題にされるが、ハイブリッド車を新たに生産する上で必要なエネルギーを生み出すための二酸化炭素排出量はどのくらいかが判らなければ比較はできないのに、これは全く議論に上らないのである。
環境保全は大切な課題であるのは間違いないが、目先の見える範囲でのエネルギー消費量や二酸化炭素排出量のみでエコを語ると本質を見誤ることになる。全体感を持ってエコを進めるべきであろう。
新型インフル?
先日、社内行事で、会社のメンバーと宿泊する機会があったが、こともあろうにその最中に、急に悪寒が走り、咳がとまらなくなった。
急いで、マスクと風邪薬を買いに行き、最低限の対応はしたが、もしかして、新型インフルエンザであったなら、至急この場を離れて、帰宅すべきではという思いがよぎった。
一方、新型インフルエンザ感染の可能性があるというだけで、重要な会社の行事をキャンセルしてよいものかという疑問も生じた。
もし、仮に私がインフルエンザであったとして、それが元で、多くの社員が感染してしまうとしたら、会社として、これは非常に大きなダメージになる。一方、単なる風邪気味の状態であるからといって、担うべき役割を放棄してしまったら、それはそれで、大きな迷惑を会社と社員に与えることにもなりかねない。
個人的に、過去、インフルエンザに掛かった経験が少ないことやその他の諸要素を考慮して、行事を放棄して帰宅することは行わなかったが、結果として、私も単なる風邪だったようだし、他の社員にも感染が見受けられなかったことで、胸をなでおろしている。
今回は事なきを得たが、正直、こうしたリスクマネジメントの判断は誰にとっても非常に悩ましいものだと思う。
そもそも今回の新型インフルエンザの対策にしても、水際で国内進入を食い止めようと、海外から到着した飛行機の乗客に対して厳しいチェックを行っていたが、
結果として、最初の新型インフルエンザの感染者は、渡航歴のない高校生だったため、その後、対策の重点は、水際作戦から国内での感染防止へ移っていった。
問題の有無や可能性が明確でない場合、その時点で最良の決断をしたとしても、後から眺めれば、必ずしも適切ではなかったということもあるだろう。だからといって、当初とったアクションをやみくもに批判すべきではない。
必要なことは、その時点で得られた情報を適切に判断し、もっともリスクの低い対応をとることだろう。時間の経過とともに変化する状況を適時、検証し、対策や方針を見直す柔軟性も重要だ。
リスクの想定してあれやこれやと対策を検討することはあまり気分のよいことではないかもしれないが、この視点をしっかり持つことの重要性を改めて認識する機会となった。
