
見過ごしがちな日常の出来事も、よくよく見ると面白い!
トランストラクチャのコンサルタントが感じたこと興味を持ったことを記していきます。
『即戦力採用』
久々に会ったカメラマンの友人と、仕事の話をしていた。
華やかな世界だからということもあるが、「仕事」の話とは言っても、彼ら自身がサラリーマンではないので、聞いていて新鮮に感じることも多い。
先日も採用の話をしていた時に、「この業界には『即戦力採用』ってこと自体がないんだよ。」と言われて、はっとした。
彼らは大抵、最初はスタジオに勤め、名のある先生のアシスタントとして経験を積む。技術は当然のこととして、才能があって運が良ければ、どこかのタイミングで独立することになる。つまり、「新しく入ってくる人間は、『入ってくる』時点で『即戦力』ではないから、『即戦力採用』などない」というのだ。確かにそうだと思うと共に、改めて厳しい世界だと思った。
最近では、それなりの年齢のサラリーマンが、「やっぱりカメラやりたいんで」と言って転職してくるケースがあると言い、そんなところで不況を感じるのだそうだ。
どうせ厳しいのならば、いっそ好きなことを、ということか。
おかしいのは、いきなりとても高級なデジカメを買ってしまったりすることだ。
「ダメだよね。」と言うから、「ダメだね。」と答えた。
「でも、もしかしたらその人なりの覚悟なのかもしれないよ」と、ものすごく想像力を働かせて言ったら、「それだけの道具を使う意味が出てくる頃には、それよりもっと良い機材が出てくるんだよ。そういうのは覚悟って言わないよ。わかってるくせに。」と笑う。
彼らの世界は不況でなくとも才能がなければ仕事は来ない。
アシスタントは、どんなに出来てもアシスタントでしかない。
だから大抵みんなアルバイトで生計を立てている。
なのに、そのデジカメの値段は、アシスタントの年収相当だ。
はっきり言おう・・・それでは勝てまい。
どんな仕事も楽ではないが、彼らの世界は厳しさが違う。
一般の会社は、少なくとも「即戦力採用」「経験者採用」がある。
『即戦力』でなくても、『経験者』であれば入社できてしまうこともある。
才能を問われるのは、きっとある一定のラインを超えてからで、大抵のことは努力でなんとかなる。
ありがたい話だ。
賢人の言葉に思うこと
「いまそれをしなかったらいつ出来る日があるか」-ユダヤのタルムードという聖典に出てくる言葉である。ふと手にした本に見つけたその言葉が妙に気になった。
タルムードは、紀元前500年から紀元後500年までのユダヤの口伝を、2000人の学者が10年かかって編纂したものだという。古くは教師から生徒に伝えられた内容で、文化や道徳、宗教、伝統が記されている。そこから何を見出すかは、学ぶ者によるのだろうが、現代もユダヤの人々の生活規範となっているそうだ。冒頭の言葉は、その中に出てくるヒレルという偉大なラビ(ユダヤ教の僧侶)の残した言葉として紹介されている 。
私たちは、仕事もプライベートも「優先順位をつけて」「メリハリをつけて」と言っては、常に何かを後回しにしている。実際にそうせざるを得ないし、いかにこれをうまくやるかが、昨今の流行のテーマでもある。しかし、いつだってそれは、予め区切られた時間の使い方の話でしかなく、「無理なく出来る範囲でどうするか」という話でしかない他との比較を離れて、そのこと自体の独立事象としての重要性を考えたり、「出来る範囲」の是非を問うことはあまり多くない。 かく言う私も、少し前までは、いつも何かを端折っている感じが気になっていたのに、いつの間にか、その気持ち悪さを感じなくなりつつある 。
「いまそれをしなかったらいつ出来る日があるか」-時々思い返してみる必要がありそうだ。
これからが本番です
第45回衆議院選は、民主党480議席の内308議席を獲得し、政権交代を問う「歴史的選挙」となった。しかし、これが本当に「歴史的」かどうかは、全てこれからの動きによるだろう。
昨夜時点のテレビ番組のインタビューやインターネット上で飛び交う情報を見る限りでは、「(とにかく)政権を交代させたい」、「(そうすれば)もしかしたら、何かが変わるかもしれない」、「政権交代したらどうなるのか、(それで)何かが本当に変わるのか、見てみたい」という意見が多かったような気がする。有権者の多くが自民党には期待できないと判断したというのは確からしいが、必ずしも民主党の政策が支持された、ということでもないようだ。ただ「交代した」だけではなく、「本当に変わった」と実感させなければならない点では、民主党の戦いはこれからが本番と言える。
会社の社長交代も、人事制度変更も同じこと。「変わる」ということに対して、人は何かを期待する。知らないうちに会社は「試されて」いたりもする。実感できる変化を届けなければ、受け手にとっては「意味がない」。
奇を衒う必要は全くないし、何かを強行に進めることが良いとは思わないが、「変わった」「変わろうとしている」ことを実感させるだけの一貫した姿勢を示すことも、組織として、あるいはリーダーとしての信頼を勝ち得るためには必要だ。
なんで社宅に住んでるの?
先日、友人がいまだに借上社宅住まいだということを聞いて少し驚いた。
勤務先の企業規模からして、寮や社宅への入居は一定年限しか認められないだろうと思っていたからである。
年齢制限はないのかと尋ねたところ、「ルール上はいつ追い出されてもおかしくないが黙認されている。自分より若い世代がいないので特に退去の必要もなく、空室を維持するくらいなら、稼動させておいたほうが良いということなのだろう」と言う。
最初は、あぁこんなところにも若年世代の不足が影響しているのだなと思った。
そして直後に、解約してしまえば良いのに・・・と思った。
当然のことながら、本人が負担している家賃は、信じられないような安さである。次の(正当な権利のある)世代が社宅を要するまでには年単位で期間も空く。会社の負担もそれなりだろう。
もちろん、先の事情は友人の推測に過ぎないので、それが本当かどうかわからないし、きっと会社はより深い検討の末に、「黙認」しているのだと思いたい。
しかし、住宅手当や寮・社宅管理、転勤手当などの運用がいつのまにかルールと違ってしまっているケースは案外多い。
大きな効果はないかもしれないが、そのあたりを見直すことで思わぬコストセーブができるかも知れない。
できるヤツ
また見つけてしまった・・・。
時々、とても優秀だと感じさせるコンビニ店員に遭遇することがある。
先日深夜に行った近所のコンビニで、バイトと思しき若者が掃除をしていた。きっと気づかないだろうな、と端からあきらめてレジに向かうと、すぐに作業を中断し、私よりも早くレジについて待っていた。お会計も早いし、処理スピードに連動した早口ながら言葉遣いも丁寧だ。茶髪の若者だったが、変な思い込みがあっただけに、軽い感動すら覚え、きっと、会社勤めをしたら「使える新人」になるのだろうなとまで思ったりする。
今のところ、私のお気に入りの店員は4人ほどいて、しかも相当気に入っている。
彼らはいつだってお客さんの気配を察しているし、大抵の場合、何かのついでに別のことをしており、やることに無駄がない。
もうすぐレジにやってきそうなお客さんがいれば、そちらを見ながら伝表の整理をしたり、入荷した商品を並べに行く途中で陳列されている商品の乱れを直したり、お弁当を温めながら次の人の会計をしたり・・・。
どういうわけか、それはなかなか教育できないらしく(あるいはしていないのか)、同じ店舗でも、そういう人とそうでない人がいる。
だからなのか、どんな仕事でも、とまでは言わないが、彼らならどこへ行っても大抵のことは巧くこなすんじゃないかと思えて仕方がない。
当たり前のこと
先日、少し嬉しいことがあった。
たまには一人でゆっくり昼食を楽しもうと思って入ったレストランでのこと。
周囲と充分な距離をおいた席に通され、期待を裏切らない味にほっとしていたら、隣の席に母子連れがやってきた。
子供はまだ幼稚園くらいで、何かの式の帰りのようだ。
最初のうちこそおとなしくしていたが、すぐに足をばたばたさせはじめ、落ち着かない。
どうしてこんなところに子供連れてくるのだろう・・・・。
これでは店の雰囲気が台無しだ。
子供だって嬉しくないだろうに・・・。
案の定、靴のままソファに登りだした。
すると、スタッフがすっとやってきて、耳元で言う。
「あちらのお席もご用意できますが」。
テーブル係ではなく、キャッシャーを担当していたスタッフである。
その目配りと対応の適切さに、やはり良い店だな、と思った。
でも私は断った。
先程まで席を外していた子供のお母さんが、戻って子供に注意し始めたのだ。
ガミガミ言うのではない。しかし、そうかと言って、形だけ、ということでもない。
「ここはそういう場所ではない」ということをきちんと説明しながら、諭している。
残念ながら子供は静かにはならなかったが、その方は途中で放棄することなく、何度でも言い聞かせていた。
親御さんが気づくことができる人で、すべきことをしているのだから良いか、と、こちらも微笑ましくそれを眺めることができた。
更に、この日はおまけがついていた。
食事を済ませ、お会計をしていると、再び先程のスタッフが言った。
「本日はお子様をお隣にお通ししてしまい、申し訳ありませんでした。」
当初想定したものとは少し違う時間ではあったが、充分に満足していた。
当たり前のことを当たり前にできる人々に遭遇して、確かに良い時間を過ごしたな、と、どこか嬉しく思って、店を出た。
「コミュニケーション」に欠けているもの
「えっ?じゃぁ日本語は喋れないの?」
「あー、そうなんだぁ」
「えーっと、えーっと、なんて言えば良いんだ?」
とある駅でのこと。
女子高生2人が外国人男性と話していた。おそらく同じ英会話学校に通う2人とその講師である。
男性がほとんど日本語を話せないので、相手の話す英語を一生懸命理解しようとし、片言の英語で一生懸命何かを伝えようとしていた。
ビジネスの世界では、「コミュニケーション」という言葉がもてはやされて久しいが、多くが「コーチング」や「プレゼン」など、テクニカルスキルの話に終始している。
勿論テクニックはないよりもあった方が良いし、ビジネスにおける「コミュニケーション」は「相手を納得させること」が付いて回るのだから、通常とは異なるものとして捉えるべきなのかも知れない。
しかし、テクニックばかりが先行してしまうのは、なんだかとても危険な気がする。
実際、人の話が終わらないうちから話し始める人のなんと多いことか。
相手の話を聴いていたら、絶対に出来ないような質問。
いかにも聴いてなさそうな相槌。
あるいは解っていないことを証明してしまうコメントや行動。
全く心に響かない話を自信たっぷりに、とても滑らかに話し続けている人さえいる・・・。
コミュニケーションとは何か。
女子高生の拙いながらも熱心なやり取りに、その本質を見た気がした。
受話器は左手で・・・はベストか?
「・・・左耳だとよく聞こえないので・・・」
電話の出方を注意された時は、いつもそう答えてきた。
多くの会社では、ビジネスマナーの一環として電話の取り方を教える。
この時、「受話器は左手(利き手でない方)で持ちましょう」と教えるのも一般的なことだろう。
これは、「利き手を空けてメモを取れ」ということであり、
メモを取るからには受話器を逆の手で持たないと「見苦しい」からだそうだが、
果たしてこの指導は正しいか。
当の私は、初めだけやってみて、すぐにやめた。
なぜなら 聞こえない から。
とは言っても、聴力にはなんら問題はない。勿論、音は聞こえている。
ただ、なんとなく理解がワンテンポ遅れるような気がするのである。
実は、人にはそれぞれ利き腕があるように、利き耳 があるらしく、
利き耳でないと「聞こえづらい」などの違和感を覚えることがあるのだそうだ。
実際には、左右の差があまりない、所謂「両利き」の人がほとんどらしいが、
長年の「聞こえない」感じは、なにも「気のせい」ではないらしい。
現に長年研究を続けている人もいる。
それならば、「受話器は左手で持ちましょう」というのは、ベストな指導ではないかもしれない。
確かに「見苦しい」よりは「美しい」方が良い。
しかし、今更 「利き手でなくとも箸を使える練習」をするよりは、
「利き手で箸を上手に使う練習」をした方が到達レベルは高いのではないか。
「電話は聞き耳で受けましょう」

